無自覚な差別主義者


前回の続き。


http://www.lovepiececlub.com/kitahara/2009/06/post-173.html

↑の「したい相手とはしたい。したくない相手とはしたくない」という論をうけて、

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51225683.html

はこう書いている。以下引用。


<この台詞が、レイピストに通用するのかを確認してみて欲しい。私には二人の娘がいる。彼女達が私の家の中で、私の家族しかいない茶の間でこの台詞を言うのは構わない。気の置けない友人どおしで話すのもいいだろう。しかし、これを公衆の面前で大声で叫ぶのは全力で止める。>


レイプというのが決して見知らぬ他人から「のみ」行われるのではない。顔見知り、恋人、近親者からの性的暴力をうけることもある。特に高校生が被害者になる場合は、「デートレイプ」の割合がもっとも高いという調査もある。

http://www.medical-tribune.co.jp/ss/2004-10/ss0410-1.htm


この類の犯罪は、誰もが被害者になりえて、誰かもが加害者になりうる。レイプは、決して性的異常者「のみ」によって行われるわけではない。恋人や家族でもあっても、あるいは教員志望の普通の大学生も加害者になりうるわけだ。したがって、自分の性欲について家族や友人には話してよくて公衆の面前で言ってはならない、というのは、教訓としては非論理的だ。

であれば、「したい相手とはしたい。したくない相手とはしたくない」という真実は、公衆の面前は当然のこと、家族や友人もふくめて、誰にも話さなければいいのか。古いやまとなでしこ幻想よろしく、女なので性欲なんてありません、という顔をして。でも、残念ながら、だからといって性犯罪の対象にならないというわけではない。自分の性欲を明らかにしていようがしていまいが、どちらにしろ、誰もが被害者になりうる。黙っていても犯されることはあるし、大声で叫んでいても犯されないこともある。

とすると、女性が、男性と同じように、「したい相手とはしたい。したくない相手とはしたくない」と口にするのがなぜいけないのか、論理はどうも怪しくなる。そもそも別に誰かさんのように隠している特殊な変態性癖を開陳したわけではない。「したい相手とはしたい。したくない相手とはしたくない」というごくごく当たり前のことをいっているだけである。一体、なぜ、それを明らかにすることが、男はよくて、女はいけないのだろう?


差別主義者が自分がそうであると認識していないことはままある。そういう無自覚な差別主義者が、この差別が相手の利益になる、と(心から信じて)説くことも同じようにままある。そんなことは歴史からもう十分すぎるほど学んだはずなんだけど、ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね。