パッケージとコンテンツ


http://d.hatena.ne.jp/kawango/20090626/1246030883


元記事は、なんとなくゲーム業界を念頭において書いているような気がするのだけど、音楽の世界で言えば、パッケージ(モノ)とコンテンツ(データ)がバラバラになりうるというのが、なにより大きいと思う。かつて「音楽を売ること」と「音楽の入ったパッケージを売ること」は同義だった。が、モノからデータだけを取り出すことが出来、さらに他に移すことが出来るようになって、パッケージとコンテンツが切り離された。

それでわかったことは、レコード会社が売っていたのは、音楽ではなく、音楽の入ったパッケージだった、ということだ。商品価値があったのは、あの銀色の円盤だった。だから中身の内容に関わらず、CDの値段はほぼ一定だった。だからCDを万引きすることは犯罪だと認識されても、違法コピーでは罪悪感が小さい。それも当然と言えば当然で、データの複製コストは限りなくゼロなので、それ自体には市場価値は生まれない。音楽は、パッケージとして、コピーできないモノとして存在することによってはじめて商品価値を見出されたわけだ。

これまで、はじめは楽譜、そしてアナログレコードからCD、テープからMDなど、どういうパッケージで売るかというモノ/媒体の変遷しかなく、はじめて音楽というコンテンツそのものの価値をどう決定するか、という問いに直面している。データ自体は容易にコピーできるため、価格がつかない。じゃあ容易にコピーを出来なくしちゃおう、というのがコピーコントロールDRMの発想だった。しかし問題は、それによって購入者の自由な視聴方法を妨げてしまったことだ。善意の消費者にも不自由不便を強いるのは、商売人として正しくはない。

であるならば、やはりコンテンツはデータそのものではなく、何かに紐付けして売っていくことを考えなければいけないだろうと思う。僕自身は、モノでなく、権利としてそれを売っていくのが面白いのかなあ、と最近考えている。動画配信やソフトウェアの認証機能と近い。のだけど、データ自体はどっかのサーバーにアーカイブされていて、それにアクセスできる管理を売るのだ。小さな端末でidとパスワードで管理されたネットワークに繋ぎ、自分が権利を買った音楽を聞ける。データベースにはidとパスワードさえあればどの端末からもアクセスでき、いつでもどこでも音楽を再生できる。ipodのように容量の限界もない。過去の購入履歴から試聴機能をつかったオススメで宣伝にも使える。権利は複製できないし、音楽を聞くという意味ではユーザーの利便性も損なわれない。なんとなくよさげな気がする。データベースの維持費とか全然考慮していないけどさ。とつれづれに考えつつ、さあ、明日からまた仕事だ。