ポップスの劣化って何かね?

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0709/13/news050.html
ネタ元は↑の「低音質のiPodやMP3で聞かれることを前提に作られている現代のポップスは劣化している」という親父エンジニアたちの与太話。
この手の話はいい加減ウンザリなのだけど。


そもそも、ポップスの劣化って何かね? 
というわけで、劣化というからには、当然、ポップスの質の基準となるべき何かがあるはずだ。
そこから後退してこそ「劣化」ということになる。
では、何がポップスの質を計る基準になるのだろう?
何が優れたポップスであり、何が劣ったポップスなのだろう?


例えば、みんな大好きビートルズ
はたしてビートルズは優れたポップス? もちろん、そうなのかもしれない。
だが彼らの音楽も、60年代当時は「騒音」と評された。あんなものは音楽ではない、と。
下品だ猥褻だとこき下ろされたプレスリーもまた然り。
そのビートルズプレスリーが参照した黒人音楽、ブルーズやロックンロールやジャズがどのような捉えられ方をしていたか、当時の社会状況を思えば想像がつく。50年代のビート作家が描くジャズは、そのまま60年代のロック、70年代のパンクの姿と重なる。
何が優れたポップスか―― 自明だが、そのスタンダードは時代によって、変遷してきた。


音質の面からも考えてみる。
CDが登場した時も、その音質は批判に晒された。
アナログ・レコードの音質の礼賛者はいまも根強く残る。
だがビートルズにしろプレスリーにしろ、その音楽はレコードの形のみで聞かれたわけじゃない。
当時は、まだまだラジオの時代だった。ラジオから流れるビートルズプレスリーに、ティーンは熱狂したのだ。
ステレオですらないラジオの音質は、やはりビートルズプレスリーの本来の音楽の質を「劣化」させていたのだろうか?


これも自明のことだが、ポップスの優劣と音質の優劣とは関係がない。
海外では、MP3より低音質のMyspaceから、リリー・アレンやクラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤーといった新しいスターが生まれている。
ポップスの優劣があるとすれば、それは時代によって変遷する価値基準によって決められる。
「MP3の音質が悪いのでポップスが劣化している」などというのは、たちの悪い難癖か、あるいは個人的な郷愁の吐露でしかない。
リンク先の文中、ピンク・フロイドジョニ・ミッチェルサンタナフリートウッド・マックなどの名前が並んでいるのも、決して偶然ではない。
つまり、アナログ・レコードと70年代ポップスを基準におき、そこから差異を「劣化」と評しているだけだ。


実際のところ、プロトゥールスをはじめとするレコーディング環境の向上とさまざまな楽曲のデータとノウハウの蓄積により、現在は誰が作ってもある程度の質――それこそ70年代的なポップスの価値基準でいう音と楽曲の質――のものは出来るようになった。
狙って作ろうとしない限り、かつての一部歌謡曲のような珍妙でユニークで面妖な楽曲は生まれづらい。
70年代ポップスを基準とすれば、現代のポップスは劣化するどころか、むしろウェルメイド化した。
では、なぜ、「劣化」と評されるのか?


現在のポップスの原型は、40年近くも昔にほぼ完成している。
英米で50年代60年代に黎明期を迎えたポップスは、SSWやディスコやパンクやハードロックなど様々な形をとりつつ、70年代に全盛を迎える。
だから現代の人々は70年代の音楽をいまだに楽しむ。テレビCMを見れば使われるのは懐かしの曲ばかり。
一方で、新曲だといって聴かされるポップスも、やはりいつか聴いたような曲ばかり。
80年代日本のバンドブームの背景にはパンク・リバイバルが、90年代の渋谷系ブームの背景にはレアグルーヴがあった。
現代のポップスは、70年代のポップス(洋楽とその影響下の邦楽)を価値基準として、生み出されている。
コピーの氾濫に、オリジナルを聴いた世代が「劣化」と評したくなるのもわからなくはない。


そう、いまだに70年代的な価値基準が跋扈している。それは熟成し、良くも悪くも、ウェルメイド化した。
しかし、一方で、パラダイムシフトを促すような新しい価値基準は生まれていない。
いや、生まれてはいるのだけど、ポップスとして広がるまでのパワーを獲得できていない、という言うべきか。
海外ではメインストリームのヒップホップですら、この国では、ポップス化していない。
世代を大きく輪切りにし、そこで全員で共有できるような規模での新しい価値基準は生まれていない。
価値基準は細分化し、多様化した。
つまり、その優劣を論じる前に、「ポップス」という概念の成立自体が怪しくなってきているのが現状だ。
そう考えると、CDが売れないのもよく分かる。


問題はポップスの劣化でも音質の劣化でもない。
嘆くのならば、それはポップス自体の喪失を、だろう。
あくまで、もし嘆きたいのであれば、だが。
個人的には、そんな必要性は全く感じない。
いまや、それぞれがそれぞれに自らが優れたと思う音楽を楽しめる時代だ。
ポップスとは評されなくとも、探せば、素晴らしい音楽、面白い音楽はそこら中にある。
件のMyspaceなんか、まさに探索しがいがあるでしょ。
もちろん探したい者だけが探せばいい。ポップスではないのだから、万人が聴く必要もない。


ポップスなどという幻想によって、同時代性への共感を強いられることなく、それぞれの「趣味」を楽しむ時代。
たとえ、ひとりでもね。


…さみしい?


というところで、先週の話へ繋がるわけ。


http://d.hatena.ne.jp/rmxtori/20070910