先月末、祖母が亡くなったので1日だけ実家へ帰った


泣ける話ではない。むしろ、人によっては不快になるかもしれない。


先月末、祖母が亡くなったので1日だけ実家へ帰った。


祖母は90歳。
6、7年前から痴呆をわずらい、数年前からは病院で寝たきり。娘である母のこともわからなくなっていた。
ここ2年くらい何度も「もうあぶないです」と主治医から言われ続けていて、実際に亡くなったと聞いたときも、僕は「ああ、そうか」と淡々と受け止めた。
それは実の娘である母にとっても同じだったようだ。
仕事を終え、喪服だけ持って新幹線で実家へ向かったのだが、母も大変だろうと「夕飯は食べて行く」と連絡すると、「あんたの分も用意してあるから大丈夫」と言われた。
実際、実家に着くと普通に夕飯が出てきた。ビールと一緒に。
母にとっては、もう何年も前に(多分、自分のことを祖母がわからなくなった頃に)ケリがついていたのだと思う。疲れたとは言うが、泣いたりはしない。母も淡々としていた。むしろほっとしていたのかもしれない。


実家があるのは東海地方で、母の出身は東北。当然、祖母も東北の人。
10年ほど前からひとり娘の母が祖母を引き取り、実家でくらしていた。そして祖母はそのまま近くの介護病院に入院。
実家は典型的な核家族で、まわりには親戚縁者もいない。
ので、本葬は週末に東北の祖父の墓のある寺で行うことになった。
お経は既に斎場であげてもらったという。通夜らしい通夜もしない。遺体も斎場の霊安室にある。
その日も何もすることはなかった。


翌日、斎場に行き、霊安室で祖母と対面した。
霊安室と言っても、倉庫とカプセルホテルをかけあわせたような場所だ。
そこに簡易の祭壇を作り、棺を置く。
二人の祖父が死んだのは、どちらも僕が小学校の頃だ。それ以降に近しい人間が死んだことはない。大人になってから人の死に接するのは初めてだった。
棺の窓を開け、遺体を見る。
不謹慎な感想だが、僕は「魂」とはよく言ったものだと思った。たしかに魂が抜けている。これは、ばあちゃんではない。ばあちゃんの魂の抜けた蝋人形のようなものだと。


お経をあげる坊さんもすぐにやってきた。
残された者に受け止める準備の出来ていない不慮の死であれば違ったのだろうが、僕らの場合、何年も前から覚悟は出来ていた。特にここ2年くらいの祖母はもうほとんど死んだようなもので、いまさら泣き叫ぶこともない。淡々とことは運ぶ。
斎場の職員や坊さんにとっても死は日常だ。淡々と運ぶ。
みんながそうなのだから、作業はなおざりになる。とりあえず形式的に手順は踏むけれど。
坊さんは祖母の名前を覚えていないようで、カンペを見ながらお経をあげた。彼が読経の前に一服していたタバコの灰皿は祭壇に上に置きっぱなしだった。線香より高くタバコの煙が上がる。坊さんはお経をあげながら、こっそりの灰皿を隠した。
読経が終わると、火葬場へ向かう霊柩車、といってもただのワゴン車に棺を移す。棺をストレッチャーから持ち上げたとき、ちょうど斎場職員の携帯が鳴った。着メロは手品のときにながれるあの曲だ。
車は火葬場に着き、棺が焼き場に置かれる。棺を前に神妙な顔をした中年の斎場職員が「お別れの方はよろしかったでしょうか」と言った。
すべてがグダグダだ。


準備の出来ていない遺族にとっては、ひとつひとつの儀式が、心の中を整理し、死を受け入れるための手順として機能するのだろう。
だがそうではない場合、弔いの身振りはただの茶番になる。形式的で無意味な儀式。
そして、そうやって余計なものが削げ落ちると、一連の作業の背骨の部分、本質が見えてくる。
つまり「人が死ぬ。役所に届け、書類をもらう。死体を焼く。骨と一緒に書類を回す。埋葬する」ということ。
なんのために?
もちろん、公衆衛生のために。
弔祭という表面をはぐと、実に無感動なシステムが浮かびかがる。
個々の死というものは相対化され、死体としてひとくくりにされ、システマティックに処理される。


1時間半ほど火葬場の待合室で待っていると、職員に呼ばれた。
遺体はきれいに焼かれて、白い骨になっていた。職員に促され、骨を拾い、骨壷に入れる。
この骨に何か意味があるのだろうか? と考える。
これはばあちゃんではない。あの蝋人形と同じように。
この骨に意味があるとすれば、それは防疫上まったく無害になった、ということだ。
骨をつまみながらなんとなく僕は思う。
「人の生き死にっていうのは、実はそんなに大したことではないのだな」と。
それは命が重いとか軽いとか価値があるとかないとかそういう話ではない。
というより、命が重かろうが軽かろうが人は死ぬ。誰でも死ぬ。毎日死ぬ。死は決して特別ではない。


東京に戻って友人にその話をしたら、「これだから都会者は」と言われた。
僕の実家があるその地方都市を都会と呼べるかどうかはわからないが、すくなくともその友人の生まれ育った環境よりは都会だろう。友人が育ったのは、いわゆるド田舎だ。友人の家は四方を畑と高速道路に囲まれていて、隣の家まで歩いて15分はかかる。
そこでは、よく人が死ぬという。無論、実際に死亡率が高いのかどうかはわからない。単に人間関係が濃密で「死」の情報に接する機会が多かっただけなのかもしれない。ただ実際に老人が多く、当然彼らはよく死んだという。貧しいからか閉塞してるからか、自殺も多いらしい。子供も平気で死ぬそうだ。事故や病気でも死ぬ子もいるし、虐待なんだかよくわからない理由で死ぬ子もいたという。毎年、近所で2、3人死んだ、人が死ぬのなんて珍しくもない、当たり前だった、と。
僕は妙に納得した。やはり普通に死んでいるのだ。大勢。たくさん。あちこちで。毎日。今この瞬間も。
これまで恐れ忌避し遠ざけ隠してきた「死」というものを、はじめて実感できたような気がした。
台所の隅でぷちっと潰したありんこの「死」と、僕らの「死」が重なったような、そんなふうに感じた。


その週末は、東北の祖父の墓がある寺で本葬があった。
僕のとっては全く面識のない親戚が大勢集まり、立派な葬式をあげてあげた。
葬式のあと、役所からもらった埋葬許可証を寺の事務所に渡し、ばあちゃんの骨をじいちゃんと同じ墓に埋葬した。
墓には石職人がすでに待っていて、僕らが着くと墓石をどかして、中に骨壷を入れた。
墓石を再び閉める前に、石職人は「念のため、ご確認下さい」と言った。
喪主ではなかったが、なんとなく、僕が覗き込んだ。


暗い墓の下には、想像していたのよりもはるかに多くの骨壷がひしめいていた。