表現するということは、元来、気持ち悪いものなのだよ。


表現するということは、元来、気持ち悪いものなのだよ。
音楽であれ、文学であれ、ブログであれ、何であれ。
なにしろ傲慢で自己陶酔的で自意識過剰で醜いオナニーだからね。
駅前のストリート・ミュージシャンとか女子高生が書いたケータイ小説とか路上のカジュアルな相田みつをモドキとかロキオンの読者投稿とかライフハック(笑)なブログとかmixiのいかにもカマッテな日記とか友達の誕生日プレゼントに自作のポエムをプレゼントしちゃう女とかこのブログも。全部気持ち悪い。
オナニーを人にわざわざ披露し「カッコイイ」とか「アタマイイ」とか「カンドウシタ」とか「ナケタ」とか「オモシロイ」とかお褒めにあずかろうって魂胆があけっぴろげにご開帳されてるのだから、まあ、当然だよね。
ちなみに音楽もオナニーであるうちは売れない。それだけで芸として成り立つような圧倒的かつ強烈なオナニーであれば別だが。大抵は、自分の作品がオナニーであることに気付き、恥じ入り、猛省し、聴衆や消費者の娯楽となるべく自分を殺し、ただの装置になり、それを通して大衆の欲望を形にすることが出来てはじめて人々に喜んでもらえるようになる。自己愛の表出でしかなかったオナニーが、立派にお金を取れる芸になるのだ。そこに気付くかどうかが売れるかどうかの境目だよ、といつも思うのだが、またそれは別の話。


http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/58d690dcf02e90a53f5a15310a81f6c2


ここで攻撃されてる元の話も、自己愛に満ちていた。パブリックな場所でわざわざ書いているのだから当然そうだろう。
でも、それが責められるべきことかどうかは違う問題だ。
所詮は個人ブログだ。書いてる本人が楽しくて何が悪い。オナニーのネタは自分で決める。いくら会社ではふんぞり返ってるからって実際はドMなんだよ。今日は痴女AVで抜く。断固抜く。
ただ痴女AVで抜いてる姿を開陳するのであれば、いろいろあるのも想像がつくだろう。同好のM男諸氏やS女さんが覗いてるうちは盛り上がるかもしれないが、一般F1層にでも見られたら気色悪い変態扱い。おっさんのオナニーなんて、場合によっては一生拭えないトラウマになるぞ。と。


つまりそういうことだ。
どんなものであれ(つまりこの文章も)、表現することは誰かを傷つけ不快にすることがある。
特に勝手に浮かれたヤツの甲高い笑い声やくだらないノロケやしつこい自己アピールやチンケな自慢話やスノッブなウンチクや暗い不幸話やしみったれた苦労話や罵詈雑言やひがみや呪いの言葉は人を鬱にしがちだ。
たとえそうでなくても、どんな表現も不快だ気持ち悪いみっともない醜いと非難され得る。
そう自戒することで、オナニーをより芸に近づけるのか、カーテンを閉めるのか、何か対策を打つことは出来る。もちろん、そうしたければだけど。
そして、それはブログだけの話ではなく、昼飯の同僚との会話も電車内での振る舞いも隣人との付き合いも全部同じなんだけどね。